なかちゃんねる ~ひろさんの雑談~

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もしも池田照政が吉田城を姫路城みたいに築城していたら

姫路城に行く機会があった。

実は高校生の時の修学旅行でお城を背景に記念写真だけ撮った記憶があるくらいで、実際に中に入るのは初めてだった。

姫路城は新幹線でも広島や山口や福岡に行くときには、東の富士山を眺めるのと同じくらい楽しみなスポットなんだけど、実際に間近で見ると、すごい迫力だった。

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さて、姫路城を今の形にしたのは、関ヶ原派の戦いの後に吉田城(豊橋)から移籍した池田輝政です。吉田城にいる頃は池田照政でした。

姫路城のいくつかの場所で、池田輝政が築城してすごいことになったような記事があり、「豊橋でもここまでやってほしかったなあ」なんてちょっぴり思ってしまいました。

とはいえ、池田さんが豊橋にいたのは10年間で、豊臣秀吉が天下統一したといえどもまだまだ緊張の続く時代だったことと、石高も15万石で中規模ですが、姫路に行くときには3倍増以上の52万石ですから、経済的な基盤も背景としてあったのかなと思っています。

 

しかしもし仮に、吉田城が姫路城規模のお城だったら豊橋の街並みはどうなっていたのかなって妄想してしまいました。

それこそ、新幹線から「あ!吉田城だ!」って多くの人が言うかもしれないですよね。

個人的には鉄櫓(くろがねやぐら)のコンパクト感は大好きです。なので大規模なお城でなくても良いのかなーって思う。