なるべく他の人が書いたブログやnoteやコラムを読んだら、自分なりの考えを発信しようと考えています。
ただ単に、「良い意見だ。」「賛成だ(又は反対だ)」と表明するだけでも良いのだけど、自分なりに考えをまとめて外に出すこと、持論を展開することも大切だと思っています。
今回、この春先にいろいろとあった中でも、福岡市の今村寛さんのnote記事でグッとくることがありました。
そこで思ったことは、人事評価や人事異動は何のためのものだろうか。
ということ。
”あんなにすごく頑張っている人がなぜ”
”こうなるはずじゃなかった”
なんていうのは春先によくあることだと感じています。
しかし、それはその時に必要な役割があるので、いちいちショックを受けているとキリがありません。
人間だもの、心理的安全性が確保されているかそうでないかというのも、大きいです。
脅威に曝されず、平穏無事に暮らしていきたいと願うのは当然のこと。
その平穏無事に暮らすための一つの手段として働くことがあります。
その働くことについても、人それぞれのスタンスや事情があります。
過去にバリバリやっていた人も、ある年に体調を崩してそこまでできなくなった人もいます。
これまでサボることや手抜きをすることに注力していたけど、目覚めてバリバリやりたくなってきた人もいます。
あの人と一緒に働きたい。
あの人とは一緒に働きたくない。
こんな業務に携わってみたい。
この業務だけはやりたくない。
いろんな思いが逡巡すると思います。
しかし、なんと言っても人生は一度きり。
ポジティブに受け止めたら、「これもそれも全部貴重な経験。」と考えてみるのも一つの手段。
ある作家が「人生は短いから不幸でいる暇なんてない。」って言ってましたが、まさにその通り。
小さな幸せを見つけることでも良いじゃないか。
そして、組織で働くことについて必ずついてくるのは、人事。
僕はその人事の担当者でも何でもないのだけど、おそらくその人事の担当者はものすごく苦慮していると思う。
決して、「あの人を不幸な目に遭わせてやろう。」なんて思いながら人事異動の組み合わせをしているとは考えにくいですし、むしろ「成長の機会に」と願いを込めているのだと思う。
どんな立場だって所属だって、それはその時の役割であって、評価とかご褒美ではないと僕も考える。
役割で思い出したのだけど、押し付け合いだけは避けたい。
納得していないとトラブルの元にもなる。対話も大切にしたい。そう思う。
今回、いろいろと考えるきっかけになった今村さんのnoteはこちら。よろしかったら併せてご覧ください。