なかちゃんねる ~ひろさんの雑談~

本の紹介、仕事に役立つ技などなど

ブログ連続更新425日は誇っても良いのか?

継続は力なりと言います。

 

毎日毎日、ゆるく100字くらいの時もあれば、1000文字を超える表現でブログを書いていますが、正直誇っても良いのかどうかという思いが生まれてきました。

 ⒈ブロガーさんはすごい

多くのブロガーさんは毎日というよりも、じっくり考えて、ねりに練って渾身の内容を投稿するという話も聞いた事があります。

一つの記事を考えるのに4〜5時間を費やすのだそうです。

ちょっとした仕事ですね。

確かにそういう人のブログは内容が充実していて面白いし、学びにもなる。

読んでて素晴らしいなと思いますね。

 

一方で自分はどうか。

日々の雑感・所感を綴ってる。

「そんなブログ、誰も読まないよ。時間がもったいない。」という声も聞こえてきそうです。

ページビュー数を稼がないと意味がないというのもわかります。

確かに多くの人に引っ掛かるブログにしたいなと思うのですが、この雑感・所感の変化は日々の社会情勢や自分の生き方次第で変わってくるので持論として何かに残したいという思いもあります。

 

⒉日記は日記帳へ

ブログはブログで日々の雑感を載せるとして、以前からお伝えしている通り、日記も別に日記帳に書いています。日記帳への記述内容は全くブログとは違う。あった出来事を淡々と記録していく。時々、気持ちも載せてる。

加えていうなら、子どもとの関わりで気づいた事は別のノートにも書いてる。これは、アピカの「紳士なノート」という、ちょっと良いノートに書いてます。”スイミング合格した”、”一人で◯◯ができるようになった”といったこと。

公開しなくて良いことは紙のノートに。日記に。

持論として公開したい事はブログに。

 

⒊持論の展開

持論の展開は根拠となること、それもはっきりさせられると良いですよね。

根拠というと仰々しい感じになりますが、どんな背景があって自分は何をどう感じて考えているか。

 

現実の何かの問題提起をするのであれば、それまでの過程に何か問題があるのだと思います。一番生活に直結してくるのは収入に繋がる仕事の話。

勤め人の場合、愚痴は居酒屋で。しかもどうしようも無い事を吐き出して終わり。

っていうパターンが多くなってしまいます。それはそれでガス抜きにはなりますが、根本的な解決には至らない。

しかし、持論をしっかり持って伝えるという事は責任感も生じますが、それ以上に状況をしっかり分析する必要があります。そのためにはやっぱり対話が必要。

膝をつきあわせて話をする。相手を打ち負かす討論じゃない。お互いを知り合う対話。

地味で地道ではあるけれど、対話の積み重ねがまた持論の根拠にもなってくるのだと感じています。

 

⒋さて本題

ブログ連続更新が長く続く事は誇っても良いのか。

皆さんはどう考えますか?

僕個人は毎日毎日何を書こうかものすごく悩みます。

しかも校正なしで一発更新。

それでもゴミクズみたいな記事の日もありますが、毎日毎日続けることはちょっとした時間の捻出も含め結構大変です。

自分自身、毎日更新している事に誇ろうと思っています。

同じように語学学習ができたら良いなとも思うのですが、こちらはなかなかうまくいきませんね(汗)