幕末って動乱の時期じゃん。
清やオランダみたいに貿易やってる国ならともかく、そうでない国が沿岸部にきたり。
アヘン戦争で清がイギリスに負けたり、日本の(国防を中心とする)方向転換が迫られた時期。
そういう背景の中、でっかい大砲作って何とかしようと考えたのが伊豆代官、江川英龍(えがわひでたつ)。
雄藩が建設してる鉄を効率的に鋳造するための反射炉を幕府もやろうって言うんだ。
そこで必要なものは、
上司を納得させる説明力
1.最初は費用
この韮山反射炉、建設費は現在の値段にして3億円とのこと。
一地方にこれだけの投資をする。なかなか勇気のいること。
しかも財政難の幕府。小判の鋳造を上手くやって財政の切り盛りをしている背景の中、この3億は大きいと思う。
2.周辺の状況
肥前佐賀藩や薩摩藩、水戸藩など、先進的な藩はすでに建設していたとのこと。沿岸部だから、国防というより自藩の防衛のためには必要と考えていたんだろうね。
そして先述の通り、沿岸部で外国船対応しないといけないとか、アヘン戦争とかの背景もあり、上司への説明用に使ったことは間違いなさそうです。
3.5W1Hのなかでも「どこで?」、「いつ?」、「どうやって?」
最初の計画は下田だったらしいです。やり始めてすぐにペリーの水兵が敷地内に侵入したので、少し山奥の韮山に変更したとのこと。
いつやるの?今でしょ!の流れだけど、
「あっ!」っと思ったらすぐに計画変更する大胆さも重要。
4.まとめ
どの時代も、新しいことをやろうと思うと、周りから猛烈な反発を受けたり、お金が無いとか言われてなかなか進まないと思う。
やはりまずは状況分析、そしてその事業の必要性や効果(メリット・デメリット)を気持ちを込めて説明する。
入念な計画といざというときの腹案。これらをきっちりやる必要があると改めて認識。
新しいことをやるのなら、今までやってた何かをやめないとパンクしてしまうので、思い切って止めてもいいことはお仕舞いにする。
”ビルドアンドスクラップ”
もやっぱり重要。
そう気づかされた反射炉見学でした。
番外編
なぜ、この160年前の建造物が残っているかというと、山奥にあったからと言うのが大きな理由らしい。
薩摩も肥前も不要になった途端に廃棄・解体してたんだって。それは街の中心に近いところにあったから。
山のなかだったから開発の対象にならず、しばらく残り、いろいろあって明治半ば頃に国の方針で”保存”という方向になったそうだ。
良いものが、形として残るキッカケって意外な理由があるよね。
世界遺産になると保存がもっと大変になるみたいだけど、良いものはみんなで支え合って、残していきたいですね。
つづく